ロードバイクで車中泊した話

別れは突然だった。

同級生Uの突然の訃報。自殺だと言う。

Uとは中学で同じクラスになった事があり、たいして仲が良かったわけでもないがちょくちょく話をしていた気がする。中学卒業後は成人式で再開し、ヒッピーの風貌になったUとは不思議と会話が弾んだ。また会おう、次台湾から帰ったら絶対遊ぼう。そう言っている間に彼はこの世を旅立ってしまった。

 

身近な人の死はこれが初めてだった。彼の死を聞いて色々なことを考えた。遺書はあったのだろうか、原因は何だったのか、友人にはどうやって伝わったのか、SNSのアカウントはどうしたのか....
考えを巡らせ、自分が万が一死ぬ時の事を考えて準備を始めそうだった。死の準備を始めようとする自分が怖かった。

 

自転車を漕いだ。自我を保ったまま彼の死を乗り越えるには生を感じる以外無かったのだ。停車しては死を思い、ぬぐい去るためにまた走る。

道路の標識が目に入る。

館山-70km

漕ぎ進めるとその数字が段々と小さくなっていく。

館山-55km、40km...

自転車を漕ぎはじめたのはバイト上がりの22:00。

せいぜい24:00には帰るつもりで家を出たが興奮が抑えられない。

袖ヶ浦、木更津、君津と越えてゆき、とうとう富津の辺りまで来た。

これは流石に帰るのがキツそうだ、館山で一泊しようと考え始めるにはもう遅かった。AM2:00だった。

近くの宿を探す。どこもチェックイン時間過ぎている。そうだラブホだ、あそこならいつでも入れるはず...田舎を舐めていた。ラブホすら無い。カラオケ?あるはずがない。いよいよ野宿を考え始めた。

道の途中バス停の待合室の様なものが何軒かあったがあまりにも暗過ぎて入る気にもなれなかった。

廃墟は他のホームレスがいた時の事を考えると怖くて近付くのさえ憚られた。

隧道横の歩道で力尽きた。

コンクリートの上に寝そべり、ロードバイクを身体の上に載せて車中泊した。

自転車が盗られるかもしれない。寝ている間に誰かに襲われるかもしれない。変な虫に刺されるかもしれない。色々な恐怖の中しばらく目を閉じた。

2時間が過ぎたが全く疲れが取れた気はしない。朝6:00だった。このままじゃいけない、日が昇る前に絶対にどこか身体を休ませる場所を探さないといけない。色々な場所を探した。学校の校庭、廃墟、ラブホ。どこもいい条件の場所がなく、仕方なく校庭で寝たりもしたがコンクリートのほうが寝心地は良かった。

奇跡が訪れた。ふらりと立ち寄った館山のコンビニでイートインコーナーが開放されていたのだ!

あまりにも迷惑な行為である事は100も承知だが、自分の命を守るためにそこの椅子で突っ伏した。仮眠を取りながら、寝床がある普段の生活の素晴らしさを噛みしめた。

 

帰路。日中の自転車漕ぎは余りにも危険だと分かっていたので1番暑い時間は室内でやり過ごし、後は全力で漕いだ。

スポーツドリンクだけでおそらく2000円は消費しただろうか、5L以上は飲んだ気がする。それでも熱中症になり掛けていたのだから夏の酷暑は凄まじい。

帰り道、千葉付近で老人の乗るロードバイクに抜かれた。普段だったら絶対に抜かれる事がない程その老人はゆっくりと漕いでいた。不思議と抜き返す気持ちは起きず、今は生きて還帰る事が先決だと冷静に判断ができた。ロードバイクで非常にゆっくり走ったり姿勢が悪くなっている人を見かけても人には人の事情があると言う事を念頭に置こうと思った。

 

全長200km。思い付きで家を出た割には頑張った方じゃないかと思う。何せ今まで自分が最長で漕いだ距離はせいぜい80km程だったのだから。

そして何より死に飲まれず生還する事が出来た事で少しだけ強くなれた気がする。

こんな無茶なやり方をしたの、きっと一昨日刃牙読んだせいだな...

今日Uの通夜に参列した。久々に顔を合わせた他の同級生とは特に話す事もなかった。

献花代に花を手向け、Uの顔を見る。

とても美しい顔をしていた。