チャリ帰宅

今日は自転車で実家のある千葉から埼玉の新居へ帰宅。というのも、昨日は友人達と千葉の田舎で一日中自転車を漕いでいたため、実家に泊まっていたのだ。

両親は自分が一人暮らしを始めてから変わってしまった。友人を連れてきても前は絶対に家に上がらせてくれなかったのに、最近は友人の夕飯も作ってくれたり、風呂まで貸してくれるのだ。

 

犬だ。すべて、犬を飼い始めたからである。

犬がとても可愛い。犬のために家を綺麗にし、犬を

見せびらかすために人を呼び、犬のInstagramアカウントまで開設した。

犬中心の生活。パピーの行動の突拍子のなさ(うんこ食うとか)に比べたら、息子の友人が来るくらいのイベントはどうってことないらしい。

 

帰路の道中、夜の荒川サイクリングロードを通ると夏休み中の学生が花火を上げていた。今も私は学生気分。

明日の仕事も 楽しみだなあ。

チャリ屋の福袋を買いました

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近所のチャリ屋で5000円の福袋が売っていたので買ってみました。

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全容。

20000円分位入ってるよ!との事。

 

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レザインの強いライトとキャットアイのデカすぎテールライト

これの為に買ったようなもん。(買う前に上からチラ見した)

これだけで十分優勝袋である。

 

追記:テールライトとバーエンドライトつけました。

これは光害ですね。完全にドライバの目を潰しにかかっています...バッテリー切れに備えて状況に応じて使い分けようと思います。

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その他

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その他良くわからん工具やら。

どうやらスペシャ推しみたい。

 

空気入れは素敵だったのでチャリに設置。

シートポスト脇は意外と邪魔になたらなかった。

最後の写真のクソダサイ「スパカズ」靴下いる人おらん?

 

全体的にこの福袋は大当たりでした。

以上です。


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あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

帰りたくなったら帰れる意識低い系バイクパッキング

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バイクパッキング。ロードバイククロスバイクを買い、長距離走行に慣れてきた人なら誰しもがやってみたいと思うアクティビティだろう。私もその1人で、自転車を始めてまだ3か月程しか経っていないがこの夏に3度の自転車旅を決行した。

ロードバイク初心者である私がバイクパッキングを始めて思った事、注意する事、装備品などについて紹介していこうと思う。

 

(目次)

意識低い系バイクパッキング

・チャリ旅行の小技

・旅の記録

 

 

意識低い系バイクパッキング

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バイクパッキングをするというと、自転車1つで日本一周をしたりだとか、テントを持ち運んで寝泊りしたりだとかを思い浮かべる人も多いと思う。しかし正直、泊まるなら宿があったほうがいいし帰りたい時にすぐ帰れる装備の方が圧倒的に良いと私は思う。何日もシャワー浴びずに臭ぇ身体でチャリ漕ぐの嫌じゃない?私はちょっと嫌です。サバイバル生活をしたいわけでも無い、ただ自転車で遠い所に行って楽しみたいだけなのだ。

友人を誘い宿に向けて自転車で。恋人といつもと違ったアクティブな旅行を。遠方の知人に自転車で会いに。

自転車にバッグをくくり付け、必要な物をぶち込んでペダルを回せばそれはもう立派なバイクパッキングだと言えるだろう。

こんなふうに意識の低いバイクパッキングがあっても良いではないか。

 

*余談だが、自転車で車中泊するのはあまり快適では無いのでオススメしない。
https://tueks.hatenablog.com/entry/2020/08/18/233350

 

 

では、意識の低いバイクパッキングの装備を紹介しよう。

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・フロントバッグ

大抵の衣服はここに入れてしまう。ハンドルが取られるのでは無いか?という疑問は簡単に打ち砕かれた。ある程度サイズの小さいフロントバッグであれば色々入れても重心が下がるだけでハンドリングに支障が出る感じは全くしなかった。mont-bellのフロントバッグはサイドポケットがあり、補給食を入れて置けるのでオススメだ。

 

トップチューブバッグ

ここにスマホ、財布、モバイルバッテリー・充電ケーブルを入れている。mont-bellのトップチューブバッグは容量が大きい上にステムにも付けられるので非常に汎用性が高くオススメだ。また、フロントバッグと同時につけてもマジックテープが干渉しないように出来ているので取り付けも手間取らない。

ステムに取り付けておけばスマホに地図を表示させて置けるのではじめての道でも安心だ。

 

・フレームバッグ

薄手のウィンドブレーカーとパンク修理キットを入れている。入り口が大きいフレームバッグにウィンドブレーカーを入れておく事で急な小雨や寒さに即座に対応できる。パンク修理キットは変えのチューブとパッチと携帯ポンプとCO2ボンベを入れている。意外と嵩張るのだ。

 

・ABUSチェーンロック、輪行袋

私のバイクパッキングで最も特異な点はサドル下の使い方だろう。サドルバッグはバイクパッキングの代名詞的存在と言えるが、私は敢えてそれをせずこのような変な構成になっている。

意識が低いので長旅でも自転車は軽い方が良いし、自転車のことを気にせず飯も食いたいし、疲れたら電車で帰りたい。そのような欲望から生まれたのがこの構成。

サドルバッグを付けると無限に物を入れてしまいそうなので、サドルバッグを使わない代わりに頭を使う。(というと響きは良いが実際は高いから買ってないのが実情である。)

ABUSのチェーンロックは言わずと知れた超強力な鍵で、これを付けているだけで防犯効果がありそうだ。実際これがあると大抵の場所に括り付けておけるし、仲間の自転車も一緒に固定できる。

長い輪っかをぐるぐる巻きにするこんな収納をしているのは私以外見たことがないが、嵩張らない上に自転車のバランス・見た目を損なわないため是非多くの人にオススメしたい方法だ。

そしてチェーンロックの中のデッドスペースに輪行袋を詰め込んで仕舞えばもうこっちのものだ。これでいつでも電車で帰れるのだから。

輪行袋は鍵にしっかり固定しておかないと外れて後輪に挟まる事があるので厳重に注意されたい。

また、電車に乗るんだったらエンド金具も忘れずに。

 

・リュックサック

フレームに括り付けたリュックサックは輪行時や旅先で非常に役に立つ。輪行の時はフレームバッグやトップチューブバッグを入れるのに使うし、旅先で自転車を宿に置いておくことが有るなら、観光の際に丁度いい。背中に荷物を背負わない前提で話を進めているが、冬場などで背中にリュックを背負っていても蒸れない時期であればわざわざ自転車に括り付けなくてもいいだろう。

 

・ウエストポーチ(写真外)

これは結構大事。特に飲み物を収納できるタイプを愛用しているがこれがあると無いとでは大違いだと勝手に思っている。まずフレームバッグのせいでドリンクホルダーが一つしか付けられないため、ウエストポーチに飲み物を入れられるのは非常にありがたい。それに、コンビニに立ち寄る際など財布やスマホを入れておくのに丁度良いのだ。そしてなんといっても背中が蒸れない。これに尽きる。

ただ少しおっさんくさい見た目になる可能性がある為そこはご容赦頂きたい。

 

 

・チャリ旅行の小技

 

・替チューブとガムテープを持っておこう

走る時間がもしかすると深夜〜早朝だったりするかも知れない。そうすると視界が悪くて派手にパンクをする事だってあるだろう。私は特に不注意なのでロードバイク購入3か月目にしてパンクを5回程やらかしている。夜のパッチ修理はかなり難航を極めるので大人しくチューブ交換をする事お勧めする。また、外のタイヤに穴が開いてしまうと空気を入れた時に穴の部分にチューブの空気圧が集中してしまいまたパンクしてしまうのでタイヤの内側にガムテープを3重に貼っておくと効果的である。これは本当に有効なので折りたたんだガムテープを入れておこう。

 

輪行袋の使い方

しっかり汗を洗い流して柔らかいマットの上で寝たいバイクパッカーなら確実に宿に入りたいものだ。そうするとシャワー付きカラオケやネットカフェという選択肢は十分にある。

その時に1番心配なのは自転車の事だろう。

駐輪場の愛車が盗られたらどうしよう..なんて考えていては眠りに付けない。そこで輪行袋の出番だ。

輪行袋にチャリを入れてしまえば貴重品扱いで部屋に入れてしまうのだ。

これで安心して熟睡できる。

 

・洗濯ネットは持っておいた方がいい。

これは意識低い系バイクパッキングならではのことでちゃんと服も洗う方法を確保する前提だが、こいつがあれば他人の衣服とも混ざらないし、洗濯機・乾燥機から靴下を取り忘れるなんて事も防げる。嵩張らないので入れておいて損はない一品だ。

 

・防寒具は必ず1枚入れておこう

雨が降ると驚くほど寒いので防寒対策は本当に重要

 

・最強の手段「郵送」

もし帰り道、自転車で帰りたいが体力が不安だった場合に有効なのが荷物の郵送だ。大きめのビニール袋に荷物を入れてガムテープでぐるぐるまきにしてコンビニに行けば自宅まで郵送で送ってくれのだ。

実際これをやる事で背中が空いたり車体が軽くなったりするので非常に快適に自転車で帰ることが出来る。

 

・持っていかない物を決める

バイクパッキングにおいて1番大切なのはこれだろう。色々持って行きたくなる気持ちはあるが実際詰め込んでみるとギチギチだったり、おもかったり、入らなかったりする。

自分の中での優先順位を決め、要らないもの・最悪現地で調達出来るものはそうしよう。

そのためのお金は余分に持っておこう。

 

 

・旅の記録

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茨城県土浦市にある星野リゾートBEB5土浦はサイクリストにとっては最高の宿だった。

近くに山を含む様々なサイクリングパスがあり、駅と併設しているのでアクセスも容易である。

それになんといっても風呂に入りながらチャリを見れるこの変態仕様。これで一泊7000円である。

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友人と筑波山を登ったがダウンヒル中に友人が落車。

あまりにも後ろですごい音がしたので雷でも落ちたのかと思ったが友人がガードレールに体当たりした音だった。もし自転車でぶつかって身体が外に投げ出されていたらと思うとゾッとする。友人曰く、

「苔で、コケたw」

とのこと。タフだなぁ笑

 

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秩父に行ってきた。

輪行で行く予定だったが、思いつきで深夜2時に家を出て120km漕いだのは流石にキツかった。

最初雨に打たれて身体が冷えて体力が一気に持っていかれそうになったが防寒具2枚を駆使してなんとか乗り切った。暑さも怖いが、それ以上に寒さの方が怖い。今度は秩父の山攻めたいなと思う。

 


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チャリを漕ぐと腹がへる。

チーズナン、おかわりナン、おかわりピラフ

流石にやりすぎて最後食えなかったので友人にピラフを手伝ってもらった。

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帰りは電車で帰る。

一体、なんて快適な乗り物なんだ!!

 

お疲れ様でした。

 

tueks

 

ロードバイクで車中泊した話

別れは突然だった。

同級生Uの突然の訃報。自殺だと言う。

Uとは中学で同じクラスになった事があり、たいして仲が良かったわけでもないがちょくちょく話をしていた気がする。中学卒業後は成人式で再開し、ヒッピーの風貌になったUとは不思議と会話が弾んだ。また会おう、次台湾から帰ったら絶対遊ぼう。そう言っている間に彼はこの世を旅立ってしまった。

 

身近な人の死はこれが初めてだった。彼の死を聞いて色々なことを考えた。遺書はあったのだろうか、原因は何だったのか、友人にはどうやって伝わったのか、SNSのアカウントはどうしたのか....
考えを巡らせ、自分が万が一死ぬ時の事を考えて準備を始めそうだった。死の準備を始めようとする自分が怖かった。

 

自転車を漕いだ。自我を保ったまま彼の死を乗り越えるには生を感じる以外無かったのだ。停車しては死を思い、ぬぐい去るためにまた走る。

道路の標識が目に入る。

館山-70km

漕ぎ進めるとその数字が段々と小さくなっていく。

館山-55km、40km...

自転車を漕ぎはじめたのはバイト上がりの22:00。

せいぜい24:00には帰るつもりで家を出たが興奮が抑えられない。

袖ヶ浦、木更津、君津と越えてゆき、とうとう富津の辺りまで来た。

これは流石に帰るのがキツそうだ、館山で一泊しようと考え始めるにはもう遅かった。AM2:00だった。

近くの宿を探す。どこもチェックイン時間過ぎている。そうだラブホだ、あそこならいつでも入れるはず...田舎を舐めていた。ラブホすら無い。カラオケ?あるはずがない。いよいよ野宿を考え始めた。

道の途中バス停の待合室の様なものが何軒かあったがあまりにも暗過ぎて入る気にもなれなかった。

廃墟は他のホームレスがいた時の事を考えると怖くて近付くのさえ憚られた。

隧道横の歩道で力尽きた。

コンクリートの上に寝そべり、ロードバイクを身体の上に載せて車中泊した。

自転車が盗られるかもしれない。寝ている間に誰かに襲われるかもしれない。変な虫に刺されるかもしれない。色々な恐怖の中しばらく目を閉じた。

2時間が過ぎたが全く疲れが取れた気はしない。朝6:00だった。このままじゃいけない、日が昇る前に絶対にどこか身体を休ませる場所を探さないといけない。色々な場所を探した。学校の校庭、廃墟、ラブホ。どこもいい条件の場所がなく、仕方なく校庭で寝たりもしたがコンクリートのほうが寝心地は良かった。

奇跡が訪れた。ふらりと立ち寄った館山のコンビニでイートインコーナーが開放されていたのだ!

あまりにも迷惑な行為である事は100も承知だが、自分の命を守るためにそこの椅子で突っ伏した。仮眠を取りながら、寝床がある普段の生活の素晴らしさを噛みしめた。

 

帰路。日中の自転車漕ぎは余りにも危険だと分かっていたので1番暑い時間は室内でやり過ごし、後は全力で漕いだ。

スポーツドリンクだけでおそらく2000円は消費しただろうか、5L以上は飲んだ気がする。それでも熱中症になり掛けていたのだから夏の酷暑は凄まじい。

帰り道、千葉付近で老人の乗るロードバイクに抜かれた。普段だったら絶対に抜かれる事がない程その老人はゆっくりと漕いでいた。不思議と抜き返す気持ちは起きず、今は生きて還帰る事が先決だと冷静に判断ができた。ロードバイクで非常にゆっくり走ったり姿勢が悪くなっている人を見かけても人には人の事情があると言う事を念頭に置こうと思った。

 

全長200km。思い付きで家を出た割には頑張った方じゃないかと思う。何せ今まで自分が最長で漕いだ距離はせいぜい80km程だったのだから。

そして何より死に飲まれず生還する事が出来た事で少しだけ強くなれた気がする。

こんな無茶なやり方をしたの、きっと一昨日刃牙読んだせいだな...

今日Uの通夜に参列した。久々に顔を合わせた他の同級生とは特に話す事もなかった。

献花代に花を手向け、Uの顔を見る。

とても美しい顔をしていた。

 

 

人助けに失敗した話

今日も今日とてロードバイクを走らせる。

目的地は松戸の自転車屋、家から30kmくらいの所に向かってシャカリキにペダルを回していた。

自宅のある海浜幕張から松戸に向かうには色々な方法があるが1番直線的で道も整っている京葉線沿いと江戸川サイクリングロードを通ることにした。

道中ロードバイクを手押ししているおじさんがいた。その時はなんの気にも留めなかったが後々「あれはパンクで困っているんじゃないか」という不安がよぎり、以前自分がパンクした際に誰にも助けてもらえなかった不安感が半端なかった事を思い出しそのおじさんを待ち声を掛けてみた。

やはりパンクだ。20km地点でのパンク、その距離を手押しで帰るのはさすがに大変だ。よかった声を掛けて....。 人の往来の中おもむろにパンク修理を始めた。タイヤを外してチューブを抜いて穴を確認して変えのチューブを入れて。よし、CO2ボンベで空気入れよう。

「パシュン」

やらかした。

 

何がいけなかった??絶対俺上手くやったよ?

そう思ってチューブを確認すると、タイヤに空いていた穴と全く同じ位置が破れていた。

どうやらタイヤ自体に穴がある場合そこに空気が集中して破れてしまうらしい。

その時にタイヤの穴を塞ぐテープは無く、結局何も出来なかった。

チューブ代、CO2ボンベ代、諸々無駄にした。

おっさん金払えよ〜とか一瞬でも思ってしまった自分は人助けしてはいけない人間なんだろうか。少なくとも器は小さいと思う。

 

今日は人助けをしようとして失敗した。

あの後おじさんは20kmもの距離を歩いて帰ったのだろうか。

人助け。

そんなに気分は悪くなかった。

Twitter

そこには何もなかった。

 

スクロール、いいね、スクロール、リプライ、スクロール、通知、いいね、

 

はい、ぶっちゃけ限界です。

今自分は「ぶっちゃけ限界です」の語尾に(笑)を付けるか迷っていたが、とりあえず付けてみると余りにも薄ら寒い印象を受ける字面だったのでやっぱり消そう、とそんな一連の出来事が画面上で起きている。

今話したような本当にもどうでも良いことを全てツイートする。

たまにいいねが来る。同じようにどうでもいいツイートをする人もいれば、特定の内容ばかり呟く人もいる。使い方は人それぞれ。ただそれだけ。

 

だんだん自分の思考がTwitterに呑まれてくる感覚が判るようになってきた。

これは自分の感覚が反響して自分に返って来て自分の中でそれが増幅する、とどこかの受け売りのような感じはするがそう表現すると多少は腑に落ちる。

だんだんと気付かぬうちに依存してしまっている。

 

たまにTwitterから突発的に離れる事がある。

とは言っても1日2日くらいで、3 日目に久々にツイートしようとするととてつもない嫌悪感に襲われるが「えいや!」とツイートしてしまえば元どおり。

ほら、Twitterは楽しい場所だよ。

みんなが君のツイートを待っていたんだよ。

ありがとうみんな。ここが僕の居場所で、これが僕の人生だったんだね。

そんな事考えてここに綴っている時点で相当ヤバい。

 

このブログはそもそもアクセスされることが殆ど無いのを知っているし、今はTwitterのbioからもURLを消しているので尚更読まれないだろうと思い、良かれと思って筆を勧めている。筆?まあいいか。

今のTwitterアカウントを作る際に「やってはいけないこと」「こころがけるべきこと」のルールを決め、ある程度は制御出来ているつもりだったがツイ消しという手段を手にした途端にクソは加速する。

加速しても消せばいいという安易な発想。

 

ここでTwitterに関する恩恵については敢えて述べない。存分にそれを受けているし同等に不利益も被っている。

結局自分の運用ルールに「ツイ消しをしない」を追加すれば済む話だ。

それが出来ないという事はまだ覚悟が足りないという事、とも思うが実際覚悟決めてTwitterはするものではない。

これはどちらかというと生き方の話。

 

そういえば最近は色々とツイートしていない事もある。一時期に比べてツイートの節操のなさは減ったようにも増えたようにも感じる。ネガティヴな面は減った。しかしポジティブな面では増えた。

これが良くなかった。

反響と加速の原因だからだ。

いや本当にそうか?1分経ち読み返してそんな事はない、結局節操ないツイートをし続けている事に変わりはない。ただこれは外向けの日記を書いている。今日はす少し疲れているんだ。

 

自分の考えに責任を持てるか?と言われれば、正直持てない。

これが多分自分の考えの根幹にあるので本質的には筋が通っているが、今言いたいのはそういう込み入った話ではない。

今はサバの缶詰が食いたい。

これが私とTwitter

 

おはようございます

スタバなう

で草

ぽやしみ

 

そこには何もなかった。

 

自分とインターネット電子工作界隈

今や当たり前となったtwitterで電子工作を共有して界隈を形成する文化。今の界隈はどのようにして形成され、どうなっているのか。ここでは自分の目で見てきた界隈の動き、自分の電子工作ついて少し振り返ってみようと思う。

 

まず私が電子工作を始めたのが2013年、7年前の事だった。今21歳大学4年生なので7年前と言えば文字通り厨二病全開の中学2年生だった筈だ。当時私はテニス部に所属して辞めたい辞めたいと言いながら塾に通い成績の悪い生徒という極めて普通の中学時代を過ごしていた。昔から折り紙や絵を描くのが好きだというインドアの側面が強かったにも関わらず兄に続く形でテニス部に居続けたのは今思うと不思議な話である。

 

当時は今と比べてインターネットが無法地帯でYoutube Fireやanitube, FC2動画, dailymotionでアニメや映画が違法アップロード、ダウンロードされていた時代だったと思う。都会育ちの悪ガキは基本的にそういうサイトを知っていたり使っていたりするのがある種のステータスだと思い込んでいた節もあったと思う。(勿論違法行為を助長する訳ではないし自分は怖かったのでストリーミングに留めていた。)

そのくらいインターネットが身近にある環境になっていた事もあり、自分の興味の方向がインターネットを通じて形成されていくのに時間はかからなかった。電子工作ともインターネットで出会ったのだ。

 

きっかけはこのyoutube動画

https://youtu.be/z-FHPixeeAo

いかにも中学2年が喜びそうな動画である。

実際、スタンガン回路図などで検索するとある程度分かりやすいサイトが充実しており意外と失敗せずに作れた。友人の前で手軽に優越感を味わうことが出来たのだ。

スタンガンについて補足すると、コッククロフト・ウォルトン回路というコンデンサダイオードの2種類の部品だけで作れる回路をよくある使い捨てカメラの中に入っている基板に付けるだけでスタンガンが出来るというものだ。

この使い捨てカメラの基板というのが大変重要な役割を果たしていた様に思う。これのおかげで電子工作が楽しくも危ない方向にどんどん拡張出来るのだ。というのも、同基板を使ってスタンガン、コイルガン、(ちょっと厳しいけど)レールガンを作ることができ、作例がネット上に非常に充実していたのだ。しかし使い捨てカメラの基板はあまり能力が高くないので改良するために訳もわからず昇圧チョッパ回路を組むという流れが出来ていたように思う。

ご多分漏れず自分もスタンガンの次にコイルガンを作り、昇圧チョッパを自作し、電子工作の沼にズブズブハマっていった。おじさんだらけの秋月に足を運び、なけなしの金でパーツを買い、テスト勉強するフリをしてハンダゴテを握っていた。

 

丁度その時だったか。2013、14年頃に超電同好会なる掲示板が登場した。きっかけはyahoo知恵袋にコイルガンの質問をした所、掲示板の管理人に誘われて入る事にした。 

あの掲示板が今のぱわみ電子工作界隈を作り上げた原点の一つだったかもしれない(古参インターネット電子工作界隈?と呼べるかも)。

この掲示板は後に閉鎖する事になるのだがここから得たものはかなり大きかった様に思う。弔電について簡単に述べると今のTwitter電子工作界隈のやり取りをスレッド毎に行なっていたような感じで、大学生(?)っぽい方が中高生のキッズにそれなりに有益な回路の情報を与える構図を取っていた気がする。まさしくインターネットって感じだ。

この掲示板は程なくして閉鎖し、同界隈がTwitterに移行してテスラコイル等が流行り始めるのだが自分は一旦ぱわみドロップアウトしてオーディオ関連にハマっていった。

 

 

高校時代。

高校生の自分はバドミントンと定期テストに明け暮れていた。通学路に書店があったのでそこで毎月トラ技を立ち読みし、気に入った号は買っておいて長期休みに入ると部活のない期間にトラ技を読みながら一気に工作するという形で電子工作には触れ続けていた。怠惰な日常を過ごしている今考えると本当に立派な高校生だったと思う。オーディオ工作の中でも1番印象に残っているのがraspberry piオーディオだ。完全ハードウェアから始めた自分にとってははじめてのマイコンでよく分からない(今もよくわかってない、須藤って誰だ。)状態だったのでとりあえずトラ技を見ながらコードを打ち込み、I2S-DAC基板の製作に力を入れる事にした。はじめてのPCBだ。勿論周りにPCBをやっている高校生などいるはずも無くとんでもない全能感に浸りながら発注したPCBを愛でていた記憶がある。

その頃はTwitterではオーディオ界隈の人達と仲良くしており、比較的平穏な日常を楽しんでいた。

そんな自分がまたぱわみオタクになったのは大学に入ってからだ。

 

大学時代。

Twitter電子工作界隈にいる奴がうちの大学にいないかなあと思い検索を掛けてみると明らかに行事が被っている人がいたので声をかけてみるとたまたま超電同好会出身者だった。この後彼と電気系の部活を立ち上げる事になるのだが自分は訳あって今は引退している。彼の誘いもありテスラコイルを作る事になったのがぱわみオタク界隈を知るきっかけとなった。

まず界隈の繋がりを誤解していた事に気が付く。関西勢は「NT京都」というニコニコ技術部のイベントがオフ会の役割を果たしていて高エネルギー界隈が独自の進化を遂げていたという事だ。西院春日幼稚園の屋上で危険そのもの言わんばかりの工作物(中には工作ですらない危険物とか)が展示され、オタクたちの憩いの場になっていた。

少しずつそちらの人達と仲良くなって行った矢先にとんでもないパワエレ幼女がTwitter爆誕した。

タマゴさんだ。

 

 

TwitterぱわみオタクニューウェーブとSMPS界隈。

彼の影響力はとんでもない。彼がこれを作ったと言ったらこぞってみんながそれを作り、彼の作った物は瞬く間に拡散してすぐにまとめサイトに転載される。彼のユニークな発想と確かな技術力、そしてパワみは暴力的で魅力的だった。

その中でも彼が残した功績として最も個人的に讃えたいのがスイッチング電源(以下SMPS)自作の普及である。

彼がSMPS作りを始めてまもなく電源回路しか作らないとんでもないアカウントが登場し、自分も負けじと電源回路の勉強をした。

彼らのおかげで新たな繋がりを得ることが出来たし、自分も頑張れた。今は頑張っていない事の裏返しなのでもっとしっかりやらないとなと思う。

 

 

そんなこんなで自分は大学4年生。電源回路を作っている会社に入る事になり界隈からの恩恵を存分に受けて来年から社会人だ。改めて振り返ってみると電子工作はやっていて良かったしまたあの頃の熱い気持ちが漲ってくる。学生のうちにまた何か作りたい、面白くて馬鹿げていて夢のある工作....

明日もバイトだ、寝ます。

 

 

2020/6/28  tueks