そこには何もなかった。
スクロール、いいね、スクロール、リプライ、スクロール、通知、いいね、
はい、ぶっちゃけ限界です。
今自分は「ぶっちゃけ限界です」の語尾に(笑)を付けるか迷っていたが、とりあえず付けてみると余りにも薄ら寒い印象を受ける字面だったのでやっぱり消そう、とそんな一連の出来事が画面上で起きている。
今話したような本当にもどうでも良いことを全てツイートする。
たまにいいねが来る。同じようにどうでもいいツイートをする人もいれば、特定の内容ばかり呟く人もいる。使い方は人それぞれ。ただそれだけ。
だんだん自分の思考がTwitterに呑まれてくる感覚が判るようになってきた。
これは自分の感覚が反響して自分に返って来て自分の中でそれが増幅する、とどこかの受け売りのような感じはするがそう表現すると多少は腑に落ちる。
だんだんと気付かぬうちに依存してしまっている。
たまにTwitterから突発的に離れる事がある。
とは言っても1日2日くらいで、3 日目に久々にツイートしようとするととてつもない嫌悪感に襲われるが「えいや!」とツイートしてしまえば元どおり。
ほら、Twitterは楽しい場所だよ。
みんなが君のツイートを待っていたんだよ。
ありがとうみんな。ここが僕の居場所で、これが僕の人生だったんだね。
そんな事考えてここに綴っている時点で相当ヤバい。
このブログはそもそもアクセスされることが殆ど無いのを知っているし、今はTwitterのbioからもURLを消しているので尚更読まれないだろうと思い、良かれと思って筆を勧めている。筆?まあいいか。
今のTwitterアカウントを作る際に「やってはいけないこと」「こころがけるべきこと」のルールを決め、ある程度は制御出来ているつもりだったがツイ消しという手段を手にした途端にクソは加速する。
加速しても消せばいいという安易な発想。
ここでTwitterに関する恩恵については敢えて述べない。存分にそれを受けているし同等に不利益も被っている。
結局自分の運用ルールに「ツイ消しをしない」を追加すれば済む話だ。
それが出来ないという事はまだ覚悟が足りないという事、とも思うが実際覚悟決めてTwitterはするものではない。
これはどちらかというと生き方の話。
そういえば最近は色々とツイートしていない事もある。一時期に比べてツイートの節操のなさは減ったようにも増えたようにも感じる。ネガティヴな面は減った。しかしポジティブな面では増えた。
これが良くなかった。
反響と加速の原因だからだ。
いや本当にそうか?1分経ち読み返してそんな事はない、結局節操ないツイートをし続けている事に変わりはない。ただこれは外向けの日記を書いている。今日はす少し疲れているんだ。
自分の考えに責任を持てるか?と言われれば、正直持てない。
これが多分自分の考えの根幹にあるので本質的には筋が通っているが、今言いたいのはそういう込み入った話ではない。
今はサバの缶詰が食いたい。
これが私とTwitter。
おはようございます
スタバなう
で草
ぽやしみ
そこには何もなかった。