自分とインターネット電子工作界隈

今や当たり前となったtwitterで電子工作を共有して界隈を形成する文化。今の界隈はどのようにして形成され、どうなっているのか。ここでは自分の目で見てきた界隈の動き、自分の電子工作ついて少し振り返ってみようと思う。

 

まず私が電子工作を始めたのが2013年、7年前の事だった。今21歳大学4年生なので7年前と言えば文字通り厨二病全開の中学2年生だった筈だ。当時私はテニス部に所属して辞めたい辞めたいと言いながら塾に通い成績の悪い生徒という極めて普通の中学時代を過ごしていた。昔から折り紙や絵を描くのが好きだというインドアの側面が強かったにも関わらず兄に続く形でテニス部に居続けたのは今思うと不思議な話である。

 

当時は今と比べてインターネットが無法地帯でYoutube Fireやanitube, FC2動画, dailymotionでアニメや映画が違法アップロード、ダウンロードされていた時代だったと思う。都会育ちの悪ガキは基本的にそういうサイトを知っていたり使っていたりするのがある種のステータスだと思い込んでいた節もあったと思う。(勿論違法行為を助長する訳ではないし自分は怖かったのでストリーミングに留めていた。)

そのくらいインターネットが身近にある環境になっていた事もあり、自分の興味の方向がインターネットを通じて形成されていくのに時間はかからなかった。電子工作ともインターネットで出会ったのだ。

 

きっかけはこのyoutube動画

https://youtu.be/z-FHPixeeAo

いかにも中学2年が喜びそうな動画である。

実際、スタンガン回路図などで検索するとある程度分かりやすいサイトが充実しており意外と失敗せずに作れた。友人の前で手軽に優越感を味わうことが出来たのだ。

スタンガンについて補足すると、コッククロフト・ウォルトン回路というコンデンサダイオードの2種類の部品だけで作れる回路をよくある使い捨てカメラの中に入っている基板に付けるだけでスタンガンが出来るというものだ。

この使い捨てカメラの基板というのが大変重要な役割を果たしていた様に思う。これのおかげで電子工作が楽しくも危ない方向にどんどん拡張出来るのだ。というのも、同基板を使ってスタンガン、コイルガン、(ちょっと厳しいけど)レールガンを作ることができ、作例がネット上に非常に充実していたのだ。しかし使い捨てカメラの基板はあまり能力が高くないので改良するために訳もわからず昇圧チョッパ回路を組むという流れが出来ていたように思う。

ご多分漏れず自分もスタンガンの次にコイルガンを作り、昇圧チョッパを自作し、電子工作の沼にズブズブハマっていった。おじさんだらけの秋月に足を運び、なけなしの金でパーツを買い、テスト勉強するフリをしてハンダゴテを握っていた。

 

丁度その時だったか。2013、14年頃に超電同好会なる掲示板が登場した。きっかけはyahoo知恵袋にコイルガンの質問をした所、掲示板の管理人に誘われて入る事にした。 

あの掲示板が今のぱわみ電子工作界隈を作り上げた原点の一つだったかもしれない(古参インターネット電子工作界隈?と呼べるかも)。

この掲示板は後に閉鎖する事になるのだがここから得たものはかなり大きかった様に思う。弔電について簡単に述べると今のTwitter電子工作界隈のやり取りをスレッド毎に行なっていたような感じで、大学生(?)っぽい方が中高生のキッズにそれなりに有益な回路の情報を与える構図を取っていた気がする。まさしくインターネットって感じだ。

この掲示板は程なくして閉鎖し、同界隈がTwitterに移行してテスラコイル等が流行り始めるのだが自分は一旦ぱわみドロップアウトしてオーディオ関連にハマっていった。

 

 

高校時代。

高校生の自分はバドミントンと定期テストに明け暮れていた。通学路に書店があったのでそこで毎月トラ技を立ち読みし、気に入った号は買っておいて長期休みに入ると部活のない期間にトラ技を読みながら一気に工作するという形で電子工作には触れ続けていた。怠惰な日常を過ごしている今考えると本当に立派な高校生だったと思う。オーディオ工作の中でも1番印象に残っているのがraspberry piオーディオだ。完全ハードウェアから始めた自分にとってははじめてのマイコンでよく分からない(今もよくわかってない、須藤って誰だ。)状態だったのでとりあえずトラ技を見ながらコードを打ち込み、I2S-DAC基板の製作に力を入れる事にした。はじめてのPCBだ。勿論周りにPCBをやっている高校生などいるはずも無くとんでもない全能感に浸りながら発注したPCBを愛でていた記憶がある。

その頃はTwitterではオーディオ界隈の人達と仲良くしており、比較的平穏な日常を楽しんでいた。

そんな自分がまたぱわみオタクになったのは大学に入ってからだ。

 

大学時代。

Twitter電子工作界隈にいる奴がうちの大学にいないかなあと思い検索を掛けてみると明らかに行事が被っている人がいたので声をかけてみるとたまたま超電同好会出身者だった。この後彼と電気系の部活を立ち上げる事になるのだが自分は訳あって今は引退している。彼の誘いもありテスラコイルを作る事になったのがぱわみオタク界隈を知るきっかけとなった。

まず界隈の繋がりを誤解していた事に気が付く。関西勢は「NT京都」というニコニコ技術部のイベントがオフ会の役割を果たしていて高エネルギー界隈が独自の進化を遂げていたという事だ。西院春日幼稚園の屋上で危険そのもの言わんばかりの工作物(中には工作ですらない危険物とか)が展示され、オタクたちの憩いの場になっていた。

少しずつそちらの人達と仲良くなって行った矢先にとんでもないパワエレ幼女がTwitter爆誕した。

タマゴさんだ。

 

 

TwitterぱわみオタクニューウェーブとSMPS界隈。

彼の影響力はとんでもない。彼がこれを作ったと言ったらこぞってみんながそれを作り、彼の作った物は瞬く間に拡散してすぐにまとめサイトに転載される。彼のユニークな発想と確かな技術力、そしてパワみは暴力的で魅力的だった。

その中でも彼が残した功績として最も個人的に讃えたいのがスイッチング電源(以下SMPS)自作の普及である。

彼がSMPS作りを始めてまもなく電源回路しか作らないとんでもないアカウントが登場し、自分も負けじと電源回路の勉強をした。

彼らのおかげで新たな繋がりを得ることが出来たし、自分も頑張れた。今は頑張っていない事の裏返しなのでもっとしっかりやらないとなと思う。

 

 

そんなこんなで自分は大学4年生。電源回路を作っている会社に入る事になり界隈からの恩恵を存分に受けて来年から社会人だ。改めて振り返ってみると電子工作はやっていて良かったしまたあの頃の熱い気持ちが漲ってくる。学生のうちにまた何か作りたい、面白くて馬鹿げていて夢のある工作....

明日もバイトだ、寝ます。

 

 

2020/6/28  tueks